〜謹告〜 |
このSSは、やや長文です。 サクラキャラの年老いた姿が見たくない方にはお勧めできません。 また、サクラSSというより、太正(〜昭和)SSといった内容です。 「それでもいいよ」という方、楽しんで頂けたら幸いです。 |
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ASAKUSA Rock Social Club 〜6.19.192X∞6.19.198X〜
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198X年6月19日。浅草、六区。 「ケーコちゃん、そっちの掃除終わった?」 「うん。おじいちゃんのレコードも整理したし」 「じゃあ、これからトラックこっちに持ってくるけど、留守番頼むね」 「任せてよ!いってらっしゃい、関野さん!」 「お婆さんに化けた狼には気をつけるんだよ」 「何よそれぇ!」 中年の男と少女はひとしきり笑い会うと、細い階段をおりていった。ケーコと呼ばれた少女は、ポニーテールをも一度結い直し、かつて入場料窓口だった小部屋に入り込んだ。とうとう、ここともお別れだ。相続人である両親にしてみたら、この建物は地価を下げる老朽化した邪魔物でしかないが、彼女にとっては祖父と浅草の思い出だった。 「失礼、お嬢さん」 昔のことなど思い出し笑いをしていた恵子は、文字どおり飛び上がって窓口の外を見た。そこに立っていたのは、一人の老人だった。痩せぎすで、ひょろりと背が高く、袖口から覗いている手は節くれだっている。歳はよく分からない。肌の艶の良さは60代に見えるが、皺の深さは明らかにそれ以上だ。70代か?或いは若々しく見える80代?結局、見当を絞ることができなかった。 そして、彼よりさらに背の高い老女が、隣でにこにこと笑っていた。しかも、如何見ても日本人とは言い難い。昔はブロンドだったのであろう、クリーム色がかった白髪。化粧をきちんとしていたが、色が白い理由はそれだけではあるまい。目は細められて、笑い皺の中に半分埋もれているが、キラキラ輝く緑色だった。年齢は、隣の老人と同じくらいか。 御夫婦かしら、と、恵子は思った。外見は実にアンバランスな二人だったが、そうとでも解釈しなければ、もっとアンバランスだった。 「ちょっとお尋ねしたいことがあるんだが……構わないかな?」 ここで、初めて恵子は相手を失礼なくらいまじまじと見ていたことに気付いた。耳まで赤くなっているのが、自分でもわかる。相手はというと、礼儀正しくそれを無視した。 「は、はいっ。構いません」 「間違っていたら申し訳ないが、ここは『浅草ロック・ソシアル・クラブ』だね」 「お客様ですか!」 「私たちね、一昨日の新聞を見て、ここに来たの。出来れば昨日のお別れパーティに間に合いたかったんだけど……。ごめんなさいね」 「とんでもありません!来て頂けるなんて……きっとおじいちゃん……じゃなくて、マスターも、それからこのホールも喜ぶと思います」 「じゃあ、あなた、マスターのお孫さん?」 「はいっ!あの、もし宜しかったら、中、御覧になっていきませんか?……その……大分寂しくなっちゃったけど……」 「喜んで。案内していただけるかな?」 恵子は鍵を手に取ると、二人を先導してた。おそらく、彼らにとって、階段の一段一段が、手すりの一つ一つが懐かしいのだろう。まるで愛撫するように、ゆっくりと昇っていった。 「あの壁時計。昔のまんまね」 何も無いホールの中で、昔と変わらない部分を指摘したのは、マスターの孫に対する思いやりだったのかもしれない。妻はホールの真ん中で、周囲を眺めていたが、窓から外を眺めていた夫の背中に向かって、ふと声をかけた。 「あなた、覚えてらっしゃる?初めてここへ私を連れて来てくれたときのこと。二人とも不機嫌で、押し黙って、踊りもしないで。懐かしいわ」 「そりゃあ、お前が意固地になってたからな」 「まぁ、言ったわね。お嬢さん、聞いて頂ける?この人ったら、恋人の誕生日に、若いダンサーの女の子を前にして鼻の下伸ばしてたのよ」 「そりゃ、酷い!冤罪だ。純粋な女の子に、真実とは違ったことを教えるもンじゃないよ。彼女は仕事の序でに、挨拶に寄ってくれただけさ」 「あら。それじゃあ、目的が不純でないなら、どうして加山さんとダンスホールに通っていたこと、私に黙っていたのかしら?ねぇ、お嬢さん、どう思う?」 「やっぱり、お爺さんがいけません!」 「やれやれ。女性に連合されると、敵わんな」 三人は顔を見合わせて笑った。気まずくなった恋人同士が、売り言葉に買い言葉でダンスホールまでやってきて、お互いにムッツリしながら壁の華になっていたのが、目に浮かぶようだった。 「その時、気を利かせてくれたのが、当時、まだボーイだった君のお爺さんでね。タダでバンド演奏してくれると、例の誤解のモトになったダンサーに誕生祝の歌を歌ってもらったのさ」 「それから、あなたをステージまで引っ張り出して、あなたにも歌わせて……」 「そのダンサーっていうのが、君のお婆ちゃんでね」 「やだ!お婆ちゃんったら!……そうだ、バンドの代わりって言ったらなんですけど、レコードでもお聞きになります?今はポータブルしか動かせませんけど」 「どうします?」 「お言葉に甘えるとしようじゃないか」 二人は丁寧にレコードを探し始めたが、夫の方が何を見つけたか、連れ合いに手招きした。妻の方は夫が手にしていたものを、最初不審そうに見ていたが、どうしたのか、急に頬に朱が走った。 「そのレコードになさいます?」 しかし、老女は素早く夫の手からレコードを取り上げてしまった。 「あら、止めて頂戴!」 「恥かしがらなくてもいいじゃないか!」 まるで、昔の写真を見られたような仕種に、ひょっとしたらこの人、このレコードの歌手なんじゃ……という考えが過ぎったが、それも一瞬のことだった。多分、思い出の歌か何かなのだろう。 「そのレコード、西川さん……ここのバンドをしていた方なんですけど、その方のお気に入りなんですよ。少女歌劇の歌のSP盤らしくて。ジャケットも、サイン入りなんですって。この、マリア・タチバナっていう人」 「このレコードはどうするんだい?」 「多分、今度応募しているコレクターの何方かに」 感慨深げにジャケットをなぞっていた老女は、恵子に向き直ると、それを渡した。 「それなら、その西川さんって方に差し上げるのがいいわ。レコードだって、自分を好きだと言ってくれる人のところに行くのが、一番幸せだわ」 「そうだな。それがいい」 夫の方も、賛成した。恵子は何故か、これは絶対守らなければいけない約束のような気がした。 「……分かりました。これ西川さんに差し上げます。父さんたちが五月蝿いこといったって、構うもんですか!」 老夫婦が礼を言いかけたときだった。外でトラックが止まる音がした。 「あ……。関野さんだ。もう荷物運ばなきゃいけないのか……。ごめんなさい、ちょっと待っててくださいね」 夢の時間はもうお仕舞。自分が老夫婦を中に案内したことで、両親により取り壊されてしまうこのホールに、少しでも罪滅ぼしができただろうか?そんなことを考えながら、恵子は下に降りていった。上から蓄音機の歌が聞こえてきた。ハスキーな女性の力強い声。題名は忘れたけれど……西川の好きな、あのレコードの……。 「ケーコちゃん、蓄音機、鳴らしてたの?」 「うん。ちょっとね。昔の常連さんが、最後のお別れに来てくれたんだ」 「そうか。マスターもこいつも喜ぶな」 「うん」 だが、階段を上がってきた二人が見たのは、がらんどうのホールの中に、懐かしい歌を歌いつづける蓄音機だけだった。 |
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(2002年6月 ワールドカップで盛り上がる世間サマに、 半分、背を向けて。蛙) |
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素材提供:篆刻素材AOIさん |